銀色願い星  





 ぼくは、若草色とビリジアンに満ちた、光の森の中で生きてきた。
 葉っぱがいくつもいくつも集まって、天井をつくっている森。葉っぱはどれも小さいから、いくら集まっても空を隠しきれるものじゃない。たくさんのすき間があった。太陽が昇っているうちは、そのすき間から、しろがね色の光が森に落ちてくる。もし太陽が沈んでいたとしても、星や月の光が落ちてくる。
 その光だけじゃ物足りないから、自分で光っている花やキノコもあった。光る虫や、石もあった。光を浮かべる泉もある。
 だから森の中はちっとも暗くなかった。空気は澄んでいて、鳥の歌がどこまでもきれいに響いていく。
 ぼくはこの森でネズミやウサギを狩り、光る泉の水を飲んで、呑気に暮らしていた。ぼくは何も望んでいなかった。この森や、森に住むぜんぶの命と同じように。
 でも、おととし、望む者たちが現れた。
 人間だった。ぜんぶで13人。来た道をふり返りながら森に入ってきた。ぼくたち獣は、人間たちをだまって見守っていた。鳥と虫たちから人間の噂だけは聞いていたから、少しだけ警戒していたんだ。
 人間は、破滅を呼んでくる。何かを壊して、かたちを変えなければ生きていけない。人間たちに気をつけろ――。
 でも、かれらは、ちがった。
 確かにかれらは森を少しだけつくり変えた――自分たちが住みやすいかたちに。けれど、ぜんぶ変えたわけじゃなかった。今も森は消えず、ぼくらも生きている。ただ、ほんの少し、今までよりも多く、弱い生き物が狩られるようになっただけ。
 森は広くて大きくて、あんまりきれいだったから……たった13人の人間には、滅ぼすことなんかできやしなかったんだ。そもそも、13人は、この森を変えるために来たわけじゃなかったらしい。何かから隠れているみたいだった。
 はじめのうち、金色熊が人間の味を知りたいと思っていたようだったけれど、向こうは鉄の武器を持っていたから、すぐにあきらめた。鉄を振りまわす人間より、鹿をねらったほうが楽だから。

 あるとき、歌が聴こえた。
 13人のうちのひとりが歌っていたんだ。
 きれいな、長い長い、しろがね色の髪の女の人が歌っていた。
 ぼくはその歌をもっと近くで聴きたくなって、近づいていった。近くで聴いたら、もっと近くで聴きたくなった。
 ぼくの姿を見たとき、女の人はとても驚いていた。ぼくは人間よりも大きい狼だ。人間よりも速く走るし、狩りのための牙もある。女の人がぼくを怖がるのは当たり前だ。
 でも女の人は驚いただけで、すぐに笑った。ぼくを細い、白い腕でなでた。いろいろと話を聞かせてくれた。人間の言葉はむずかしくて、半分もわからなかったけれど、ぼくは腰を下ろして聞いていた。
 彼女は、歌も唄ってくれた――。
 きれいな歌声。それはしろがね色をしていた。鳥の歌よりもずっと複雑な意味の詞が織りこまれていた。聞いたこともない、めずらしい歌声だったから、ぼくは心をうばわれたんだろうか。
 ちがう、ちがうと思う。
 口をはさんだりしてはいけない、人間しかわからない何かが、しろがね色の中にこめられているような気がした。
 歌と話が終わると、女の人はぽろぽろ涙をこぼしながら、ぼくにきれいな蒼い石の首飾りをくれた。ぼくは今まで知らなかった重みに首をかしげた。
 悪い気はしなかった。走れば、ちゃりちゃりと音がするんだ。音は楽しくて、小さくて、きれいだった。蒼い石の音。ぼくに何の害もない。首飾りはすぐに、ぼくのお気に入りになった。


 2年間、歌を聴きながら、音を聞きながら、しろがねの日々を過ごした。


 そして、何日か前……ぼくは森のはずれで昼寝をした。いつのことなのか、はっきり覚えている。それまで、毎日毎日、同じ日の繰り返しだったけれど――あの13人が森にやってきたときや、しろがね色の歌と出会った日みたいに――その日は、ぼくの中で、特別なんだ。
 男の人がひとり、ぼくに近づいてきた。鉄の武器を持っていた。ぼくがみがまえると、そいつは笑った。
「それを誰からもらったんだ?」
 男の人はぼくの首飾りを指さしていた。
「やっと見つけたぞ」
 いやな予感がした――いやな気持ちになった。この人は、はっきりとした望みを持ってこの森に来たんだ。望みが破滅を呼ぶんだ。この人間のそばにいないほうがいい、そう思って、ぼくはその場から走って逃げだした。
 結局は、それがいけなかったんだと思う。


 あくる日、ぼくたちは、森は、悲しいものと恐ろしいものを見た。
 森に住みついていたあの13人と、突然やってきた30人の男たちが、火や鉄を使って争いごとを起こしたんだ。森はほんの少し焼かれた。鳥と小さな獣はにげまどい、ぼくらみたいな大きな獣は、遠くのしげみから人間たちを見ていた。
 これが人間だ! これこそ人間だ!
 ワタリガラスたちは飛びながらわめいた。それは歌じゃなかった。ただの、本音だ。ただの、叫び声だ。
 しろがね色の悲鳴。赤い血と橙の炎。焦げた草と幹。踏まれる水。
 30人の男たちは、獣や鳥を殺さなかった。13人の人間しか見ていなかった。13人は散り散りばらばらになって逃げていく。しろがねの歌は聴こえない。あるのはただの大きな音と、叫び声だけ……。
 騒ぎは、夜のうちに終わった。人間たちは血を流していった。けれど、誰も死ななかったみたいだ。もしかしたら、誰か死んだけれど、その死体を仲間が運んでいったのかもしれない。ともかくその夜以来、森から、人間はひとりもいなくなった。

 そして、いまは今日。

 ぼくはあの日、見ていた。30人の男たちの目的を。
 しろがね色の歌だ。かれらはあの女の人を連れていった。あの女の人だけが目的で、壊すことも殺すことも望んではいなかったみたいだ。あの女の人は、きっと、人間にとっても特別な存在だったんだろう。
 何だか納得できるんだ。あの女の人は特別だ。何がどうちがうのか……ぼくは、何となくわかる。あの声ときれいな髪、長い話、ぽろぽろ流した氷色の涙……何もかも、特別だった。
 いつもの静けさと光を取り戻した森の中、ぼくは水面に映る自分の姿を見た。首には、相変わらず、蒼い石の首飾りが下がっている。
 ……そうだ。
 ぼくが……、
 ぼくが、30人の男をここに連れてきたのかもしれない。
 首飾りを見て、あいつは笑った。ぼくのばかな頭の中を、いろんな推測が駆けめぐる。ぼくだ、ぼくが案内したんだ。13人は、この森に逃げてきたんだ。しろがね色の歌を唄う、あの女の人を隠すために。
 ぼくがあの男に会って、首飾りを見せてしまったから、彼女たちの居場所がここだってばれたんだ。
 ぼくはなんてばかなことを。
 どうしてぼくはあのとき、森にもどったりしたんだ!
 あいつに感づかせなければ、しろがね色の歌は、森の中にずっと隠れていられたかもしれないのに。


 だから、ぼくは走りだす。


 しろがね色の歌を聴きながらぼくは走る。それがぼくの終わらない夢。永遠に続く罰。
 ぼくは前に走ることしかできない。しろがね色の歌は、もう戻れない過去からひびいてきているんだ。
 ぼくの白い毛並み、長い尻尾、四本の脚は、茜色の冷たい向かい風を受けている。鼻先はいつの間にかからからに渇いていた。
 ぼくは人間のように涙を流せない。悲しいときや嬉しいときに涙を流せる、人間がうらやましい。人間はぼくらよりもずっと力が弱くて、足も遅いし、夜目だって利かない不便な生き物だけど、ぼくは人間になりたい。
 走って、そう、走っていく。しろがねの歌に追われながら、責められながら。走る目的なんかは、そのうち頭の中から吹っ飛んでいった。ぼくは真夜中の星の中を走りつづけた。しろがねの月が見下ろしている。
 ぼくはくろがねの空の下、しろがねの毛並みを震わせて、土を削りながら立ち止まった。

 う、
 うううぅおおおおおおおおぉおお……!

 ワタリガラスが言っていた、人間たちが信じている『神さま』というもの。
 空の上に、いるんだろ?
 ぼくの声が聞こえるか。
 ぼくを人間にしてくれ。
 人間になれたら、ぼくは走って、あのしろがねの歌を追いかける。見つけて、助けだして、あの森に隠してあげる。
 そしてぼくは、人間の言葉で、彼女にあやまりたいんだよ。
 ぼくは望む。ぼくは望んでいる。破滅を呼ぶ望みを、狼のぼくが。
 いや、ぼくは本当に狼なのか。ぼくはいま、二本足で立っているんじゃないか。しろがねの毛皮は消えて、白い肌になっているんじゃないか。身体も心も、張り裂けそうだ。
 なんだろう、この気持ちは。なんなんだろう。
 今まで味わったことがあるようでないような、複雑な気持ち。まるで人間にでもなったかのようだ。ばかなはずのぼくが、いろんな気持ちに駆りたてられて、混乱して、がむしゃらに突っ走っている。


 遠ぼえするぼくの目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
 ぼくは頬を流れるその涙を、白い手で拭う。
 そして流れ星が、落ちていったのを、見た。


 流れ星が消えたとき、ぼくは気づいた。ぼくが涙と、白い手と足を持っていることに。
 なんてことだ。本当に『神さま』はいるのか。
 ぼくは息を呑み、二本の足で走りだす――走ってきた道を、引き返していく。でもぼくは、後戻りしているわけじゃない。ぼくは相変わらず前に進んでいるんだ。
 泉に自分の姿をうつすんだ――確かめるんだ。
 望みといっしょに、ぼくは森へと飛びこんでいく。